相模原にはかつて後期旧石器時代や縄文時代に相模川、鳩川、姥川、境川などの川沿いに人々が住んでいました。 国指定史跡である田名向原遺跡(たなむかいはらいせき)、勝坂遺跡(かつさかいせき)はその生活の跡といわれています。 一面の雑木林だった相模原台地が変貌を遂げるきっかけとなったのは、昭和30年代からの急速な都市化による人口急増でした。都心から40キロメートル圏内にあり交通の便もよいことから、市の北部は工業地域となり、 南部は都心に通う人々の住宅地という二つの顔を見せるようになり、内陸工業都市、ベッドタウンとして発展 を続けてきました。この背景には、戦前の軍都計画よる都市基盤整備が進められていたことがあげられますが、 その中で忘れてならないのが国道16号の果たした役割です。工業資材や商品の輸送などに国道16号が大きな役割を担っていました。 この急速な都市化によって、学校建設が追いつかず、「子ども急増びんぼう白書」を出すなどの財政危機に見舞われた時期もありました。そして今、相模原市は人口が60万人を超え、平成15年4月1日には中核市になり、全国有数の都市に成長してきています。 橋本、相模原、相模大野の中心市街地をはじめとする商業圏が広がっていますが、 街路樹のある街並みとともに「木もれびの森」などの緑地は相模野の面影を残しています。また、相模川沿いには貴重な自然が残されており、その周りには田んぼなど田園風景も見られます。休日には県立相模原公園、市立相模原麻溝公園をはじめとする大規模公園などに市民が集い、女子美術大学や青山学院大学等の進出もあり研究学園都市的な様相も示しています。さらに、現在建設中の首都圏中央連絡自動車道の一部にあたる「さがみ縦貫道路」が完成すると、東名・中央高速道路などへの連絡性が高まるほか、業務機能、研究型工業機能、 商業・サービス・流通機能、文化機能などの広域都市機能が促進されることになります。このような中、都市の中に残された自然と都市の街並みや文化施設などが観光資源として脚光を浴びるようになってきています。 ●「相模原市」についての詳細は相模原市ホームページをご覧ください。 http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/
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東京近郊の相模原市は、郊外型コンビニエンスストアのモデル都市として、 全国に先駆け早くから集中出店が行われました。その成功をふまえて、 コンビニエンスストアは全国に広まっていきました。 相模原市は、平坦な土地で道幅も広くて見通しもよく、道路網が整備されていますが、鉄道は市域の端を走っているという環境で、早くから車中心型の社会になっています。そのため、市内の移動に自家用車を使うことが多く、アメリカの大都市郊外に似ていると言われ、コンビニエンスストアやファミリ−レストラン、ファ−ストフ−ド店をはじめとした外資系のロ−ドサイドショップが数多く進出しました。 特に、国道16号沿線は戦前の軍都時代から重要な幹線道路として整備されており、戦後は北部の工業団地への産業道路として使われ、相模原市の発展に大きく貢献しました。 やがて倉庫やガソリンスタンドが多くみられるようになり、そして現在では、物流販売を中心としたサ−ビス業の店が立ち並んでいます。中でも外資系を含めた大型店舗が多数出店しています。小田急線相模大野駅やJR古淵駅、JR・京王線橋本駅周辺の市街地再開発事業による商業開発にもめざましいものがありますが、ここ数年は国道16号沿いの相模原市域に出店し、売れ行きをみてから全国展開をするケ−スが多くなっています。 つまり、国道16号沿線は物流販売の試金石として欠かせない場所であり、日本経済の縮図になっているのです。■
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協力:相模原市立博物館